北京五輪まであと1年になってしまった。ハード面はもちろん、ソフト=文化の
面でも中国は過熱している。
ここ数年、中国の現代アートの高騰は、世界的に見て異常だ。数年前に
50万円で買った絵が、いまは5000万円で売れるものもある、とある
画廊の方から聞いた実話だ。
しまった。中国の絵を買っておけばよかった。
浅はかにも思ったりするが、その画廊の方は、「ただし、このバブルが
いつまで続くかわからない」とも。
今、世界的に通用するほどの才能は、もう出尽くしている。才能とはそうそう、
何世代もたてつづけに出るものでもない。
現在、世界で活躍している中国人アーティストは、長年、抑圧されてきた分、
反動が大きく、それが優れたアートへと反映された。社会的に豊かになりつつ
ある今、どれだけの才能が育つのかも疑問だ。
中国人のアーティストは、一度売れれば工場を作り、何人も人を雇い、作品を
大量生産する。作家は自ら筆を取るのではなく、指示するのみ。
もちろん、そういうスタイルのアートも否定はできない。ヨーロッパのギルドや
工房を思えば、なんらそのあり方は不思議ではない。
でも・・・やはり、ひとりの人間が、苦しみながらもがきながら生み出したアートに
心ひかれる。日本人は職人気質というか、そういうタイプのアーティストが少なく
ない。彼らは世界で爆発的に売れることはないかもしれないが、大事にすべき
だと思うのだ。彼らが、日本の文化を支えているのだから。
ところでブログのスキンを変えてみた。梅雨気分を払ってくれるよい色だと
思ったのだが・・・象の背中のロゴがいただけない(笑)
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面白い記事を拝読した。ファッション関係の記事は、広告の関係からか
公明正大を標榜する新聞ですら、生ぬるいことが多い。
ブランドの言うことを、右から左へ。そこには何の批判性もない。
今回の騒動は、ファッションに踊らされた人たちと、プロとしての対応が
できなかったブランドが引き起こした。
ファッションを追求するなら、物理的なものだけでなく、立ち居振る舞いや
内面性といったものまで、ぜひ高めてほしいと思う。
そしてブランドには、その値段に見合った製品と対応が求められる。
今回、双方にそれが足りなかったのだろう。
この騒動をみていて、ふと不安になったことがある。
最近、アートの「ファッション化」だ。ファッション誌で、洋服の延長線上で
アートを買ったり、ショッピングの延長線上で美術館に行ったり。
それも悪くはないのだが、そこでとどまってしまうのは残念な話だ。
しかし、恐らくファッションからアートに入った人たちは、その入り口付近で
とどまる場合が多い。アートが一過性のブームとして終わらせないためには、
なんとか彼らをアートの奥へ奥へと引き込んでいかねばならない。
メーカーによるブランディングの道具にアートが使われて捨てられること
だけは、絶対に避けたい。
そのためには、アーティスト、キュレーター、ギャラリスト、ジャーナリスト、
すべての関係者が、クオリティの高いアートを作っていく必要があるのだろう。
どこまで実現できるかは、別として・・・
それとも、今回の騒動のように、アートを買う人が大混乱で警察が呼ばれたと
ニュースになるぐらい、ラディカルにファッション化してしまったほうが、
アートが根付くのだろうか?
悩ましいところではある。
京橋にあるイナックスのギャラリーが最近、リニューアルした。
以前はもっとビルの上階にあったのだが、エントランスに入って階段を上ると
すぐにギャラリーがふたつある。イナックス、タイルよりもアートを前面に出す
イメージ作りか?
このギャラリーは以前から定評ある展示が多いので、それはそれで歓迎
したい。
さて新しいギャラリーのひとつで、スコットランド生まれのアーティスト、
アニアス・ワイルダーの作品が展示されていた(画像はリンク先で)。
部屋の壁から、反対側の端までおよそ6メートルに、複雑に組み合わされた
木の作品が、文字通り浮かんでいる。釘や接着剤などは一切、使われていない
という。
展示室に入ると、すこしの震動でも崩れますので静かにお願いします。
最終日まで多くの方に見ていただきたいので、という趣旨の注意書きが
あった。ぬき足、さし足。息をするのにも緊張してしまった。どうも、作品を
堪能できるような気分になれない。
このアーティストは、作品を観客と最後に壊すパフォーマンスも行うらしいが、
途中で壊れたとしても、それはそれで作品のコンセプトに合致しているのでは
ないだろうか。
そうすると、親切で丁寧なようにみえるあの注意書きは、とんでもなく無粋な
もののようにみえてくるのだが・・・
いずれにせよ、完璧な形の作品を見たい方はお早めに。台風、地震、雷、
火事、親父。何があるかわからない今日このごろですので。
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嵐の前の静けさ。真夜中の六本木。孕む巨大蜘蛛。
どれひとつ欠けても、バランスが崩れる。そんな夜だった。
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仕事のついでに立ち寄った銀座。ふらりと通った路地の建物のガラス越しに、ぎょろりとこちらを見る目玉が。

真昼の怪談ではない。
2005年のVOCA展で一躍脚光を浴びた画家、日野之彦の個展が、ガレリア・グラフィカで開かれていた。
彼の絵を実際に見るのは初めてだったが、質感が恐ろしい。半開きの口にやや離れた両目。自画像は全裸。ほかにも、ヤギの頭部やまだ肉として加工される途中の家畜の死体など、不気味なモチーフが描かれる。
聞けば、1年間のインド滞在から帰国して、初の個展という。インドでは、動物ばかりか人間の生死すら日常で自然で自由だ。その風土は、この画家にほかに得がたいものを与えたことが伝わる。
ふと、帰り道に路上で死んでいた虫の存在が心にいつまでも残る。そんな個展だった。
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それが、月島だ。
月島のはずれ、隅田川近くに建つ倉庫に、不思議な
ギャラリーがある。MUSEUM

今、ここでは、越後妻有アートトリエンナーレや、
シカゴの巨大な噴水アートなどで知られる世界的な
彫刻家、ジャウメ・プレンサの個展が開かれている。
日本で2回目となる個展で、プレンサがわれわれに提示
したのは、自らをモデルにした、座像群。
膝を抱えて、宙に浮かぶ巨大な座像には、「記憶」「アイ
デンティティ」「現実感」といった言葉が刻まれる。

このほかにも、女性や海、病、食べ物といった私たちを
取り巻くあらゆる名前が、座像のそれぞれに浮き上がる。
それは、人間の身体を構成する遺伝子のようにも見えて
不思議だ。
プレンサは「身体は魂の容器」という。内面からの
光は、魂の存在を示しているようだ。
自らの身体と語り合うことで、魂とのつながりを確認する
作業。彼はそれを目指しているのかもしれない。
個展のタイトルは「SILENT
静謐の空間に、これほど雄弁なアートが出現するとは。
入場料は1000円と、普通の美術館並みに値ははるが、
50%が人道医療、もしくはアート関連のNPOへと寄付
される。月曜日休館、21日まで。
批評家、東浩紀氏が、文化庁に怒りをあらわにしている。
クール・ジャパンについての批判文を文化庁の事業の
サイトに寄せたところ、勝手に検閲された上にネットに
アップされたというのだ。詳しくは東氏のブログで。
以下、問題部分の引用。
第三段落末尾がポイントです。著者校の段階では「海外からのお墨つきがなければなにもできない、日本の政策担当者の無力を証明している。」となっていた文章が、公開時には「海外からのお墨つきを大事にする、日本の政策担当者の独特のスタンスを証明している。」に変更されています。むろん、僕の確認などはありません。
確かにひどい・・・
文章の表現を変えるのであれば、筆者に確認を取るのが
必要最低限の常識だ。東氏の怒りもわかる。
個人的にはクール・ジャパンという言葉はどうもピンと
こないし、自ら使用する機会もないので気にしたことは
なかったが、こうして言われれば、海外からのお墨つきを
大事にする輩は少なくない。
現代アートでいえば、村上隆も草間弥生も、みんな海外
からハクをつけてもらい、凱旋するしかなかったのだ。
島国・日本。いまだクールになれず?
冬季五輪、ロシアのソチが勝利。ソチという都市が一体
どんなところなのか、想像もつかないが、ロシアという国を
知るよいチャンスが最近、あった。
産経新聞が主催している(笑)、ロシア美術館展だ。
これまで、ロシアの美術館といえば、エルミタージュ。
エルミタージュ美術館展といえば、西欧の絵画のコレク
ションが目玉となることが多い。
一方、ロシア人による絵画コレクションといえば、ロシア
美術館が有名なのは、日本であまり知られていない。
パリの著名美術館、オルセーでもロシア美術館展が
開かれて、かなりの盛況だったと聞いたことがある。
あちらでは、ちょっとした美術館なのだ。
今回のロシア美術館展では、そのコレクションの魅力の
一端を知ることができる。ロシアに留学していた友人たちに
聞いたところ、よくぞこれだけ持ってきた!とまずまず
好評。ただ、ロシアを知っている人が見れば面白いが、
知らない人には少々、不親切とも思えたという。
ただ、このころのロシア絵画を見る機会がなかった者
としては、単純に新鮮な感動があった。
王族や貴族ばかり描かれていた絵画が、やがて民衆の
ものになっていく流れ。ロシアの歴史を感じさせる。
欲をいえば、今回来ていた時代よりもさらに新しい、
アバンギャルドも見たかったけれども・・・
翻ってソチ。現代ロシアは日本だけでなく、さまざまな
外交問題を抱えている。無事に五輪開催となるか。世界は
見守っていかなければならない。
そして、そのロシアを題材にした現代アート作品を見て
みたい、なんて思ったり。
慶応大学アート・センターに、ルーブル美術館の学芸員がやってきて、3日間のサマースクールを開く。
とはいえ、こちらはアートマネジメントにかかわっているプロや半プロ向け。
一般参加者は、無料で7月30日に公開セッションで彼らの話を聞くことができる。一般向けとはいえ、世界の著名美術館の動きをキャッチできそうで、興味深い。
気になるのは、今時、往復はがきで応募しなければならないのと・・・最後に書かれたこの留意事項だ。
主催者の事前許可を得ていない撮影、録音、録画、
取材はできません。また、セッションの内容等の
「ネットへの書き込み」や「ブログへの転用」も堅く
お断りします
・・・なぜ?
参加者は、この日にあったことをネットで書いてはいけないのだろうか?
よほど知れば命にかかわる、危険な内容なのではないかとアート関係の友人たちの間でうわさになっていた。
イエス・キリストの末裔にかかわる謎とか(笑)
ルーブル美術館だけに、あながち否定できない?
コタツにあたりながら、熱燗をいっぱいやる、怪しいアラブ系の男。彼は自分をテロリスト
オサマ・ビン・ラディンと名乗り、もうテロリストは引退する。探さないでほしい。日本は
いいところ・・・などと、怪しい日本語でくだを巻く。
会田誠が自ら出演した、「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からの手紙」という
ビデオ作品だ。2005年末、中目黒の個展で日本では初めて発表された際に見た。
確かにおかしい。ありえない状況、ろれつの回らない酔っ払いの自称テロリストの姿は
お笑い芸人のコントを見ているようだった。個展を見に来た人たちも思わず、声をあげて
笑っている。
しかし。こんなギリギリの作品を作成して上映し、あまつさえ観客は爆笑してしまい、
それを違和感なく「面白い作品だったね」と言える平和な国、日本。
今、自分が置かれている政治的状況を考えると、笑うに笑えなくなってしまっていた。
案の定、その後この作品は、昨秋開かれたシンガポール・ビエンナーレにも出品されたが、
一部カットされたらしい。実に、会田誠らしいと思った。
その会田誠が、今度は日本の首相に扮している。

明日まで渋谷で開かれている、ガンダーラ映画祭の広告だった。この映画祭は
映画監督や現代アーティストたちが「美しい国へ」をテーマにそれぞれの映像
作品を上映するもの。もちろん、会田誠も参加している。
残念ながら時間が取れず、見に行くことができなかったのだが、個人的には現代
アーティスト、岡田裕子の作品を見たかった。彼女は、主婦や出産など女性を
取り巻くもろもろをテーマに、毒のある、優れた映像作品を作り続けている。ぜひ
まとまって作品を見てみたいアーティストだ。ほかの参加者も、なかなか魅力的な
作品を集めているようだ。
先の会田の作品にしても、こうしたクオリティの高い風刺を堂々とできるのは、
もはや現代アートしかないのではないか、という気がしてならない。
マスコミは必要以上に自粛モードだし、お笑いもテレビというメディアには強い
規制が働くので、かつてのように風刺たりえない。
現代アートと政治。健全かつギリギリの関係が、今かろうじて保たれている
のではないだろうか?
ただし、それもいつまで謳歌できることなのかは、わからないけれども・・・


by noartnolife
ファッション化するアート